境内の西に鎮座する境内末社。
『安永6年(1777)11月18日、明神町の漁老平大夫という者が大洋で一つの霊木(楠木)を見つけ、渚に引いて置いたところ、常のものにはあらず怪しい光を発したので、里人はかしこみてこれを祀ったという。このとき、大洗磯前神社の巫女が湯を奉ったが、巫女はこれが信濃国諏訪の神木であると語ったと伝えられる。』と「磯浜誌」にあります。
御祭神の大己貴命のお子様である諏訪大社、建御名方命の御神木が父神様のところに「寄ってきた」とされ「寄木」、さらに縁起のいい漢字を使い「與利幾」になったと伝わります。
拝殿の彫刻は幕末から明治期に活躍した後藤縫殿之助の手によるものです。